私のパークゴルフライフ【2012年3月号のPARK GOLF LIFEから】

現役時代はバリバリの実業家

6年前宮城県栗原市若柳に住む小野寺幸吉さん(当時57歳)は

フィリピン、ミンダナオ島のゴルフ場を全てプレイしようと計画し、

目標の10コース制覇まであと一コースを残すのみとなっていた。

約10年を費やしていたので喜びもひとしおだった。

旅行一週間前に発券のオーダーして電話を切った。

その3分後に突然病魔が襲いかかり倒れてしまった。

小野寺さんとフィリピンとの関係は、小野寺さんが入会していた、

宮城県若柳ロータリークラブと

フィリピンのイーストダバオロータリークラブが

姉妹クラブとなったことで、交流がスタートした。

以後、交換留学生事業、緊急自動車の寄付など、

ボランティア事業に参加しながら趣味のゴルフを楽しんでいた。

昭和58年に自身で会社を設立、身を粉にして働き、

怖いもの知らずで肩で風を切って歩くバリバリの行動派、

現役時代の武勇伝は数知れない。

そんなアクティブ人間だった。

 

人生を変えた病気、そしてパークゴルフとの出会い

病院で気が付くと、左半身は麻痺し動かなくなっていた。

歩けなかった。

車椅子で移動する生活が始まった。

退院してから3ヶ月。

家から一歩も出たくなかった。

恥ずかしくてたまらない。

病気になって、世間とは、関りを持ちたくない。

毎日泣いて暮らした。

家族のちょっとした事でも怒りが沸騰した。

動けない自分が歯がゆくてしょうがなかった。

ロープを用意していた。

いつも死のうと思っていたし、それしか考えられなかった。

今までとは180°違う毎日を、

受け入れ、

納得し、

希望を持って人生を歩むことなど、

何も思い浮かばなかった。

夏になった。

歩いてみようと思った。

最初は誰にも会わない夕暮れ、

田んぼのあぜ道を歩いてみた。

気候がよくなり、草が勢いを増してくると、

足を取られる、何度も転びそうになる。

ある時、側溝にはまってしまいそうになった。

このまま落ちてしまうと助けてもらえないだろうと思い、

別の場所を歩くことにした。

裏道を歩いた。

必ず犬に吠えられる。

不審者に見られる。

徘徊老人と思われて通報される。

それより一番嫌なのが蚊に刺されること。

不自由な手では掻くことすらできない。

次は日中、車も通っている舗装道路を歩いてみた。

地元の有志だった彼を見つけては、車から挨拶をされる。

その度に立ち止まり会釈を返す 、それがたまらなく嫌だった。

そんな頃、親戚がゲートボールでも行ったらどうか?と勧めてくれた。

ゴルフが趣味だった彼は全く興味を感じないまま会場まで行ってみた。

それはゲートボールではなく、

パークゴルフだった。

「こんなスポーツがあるんだ」と思い、

早速インターネットでパークゴルフを検索した。

ルールもあるし、なんだか楽しそうだ。

すぐにパークゴルフに挑戦した。

でも恥ずかしいから近所ではできなかった。

1時間かけて遠くのパークゴルフ場へ出かけた。

岩手県の桜の湯パークゴルフガーデン、

山村ふれあい公園やくらいパークゴルフ場、

ふれあいの森公園パークゴルフ場、

この辺では誰も知らないと思っていたが、皆が彼のことを知っていた。

病気を隠して、片手でプレイすることが新鮮で、

近隣の愛好者の中ではちょっとした有名人になっていた。

 

私のパークゴルフライフ

それからは吹っ切れたような感じがした。

パークゴルフに出会えなかったら、もうこの世にはいなかったと思う。

今ではコンペ主催や競技委員をし、近隣パークゴルフ場との交流で、

色々な人との繋がりを持てた。

宮城で主催している大会は「友達を作ろう」がコンセプトで、

10回以上も続いていると楽しそうに話してくれた。

簡単に説明をしているが、 空いているコースで、よたよたと歩き、

人が来れば譲って先に入ってもらう。

3ホールから始め、毎日夢中でプレーをした。

ある時、コースで出会った70代後半のプレイヤーから言われた言葉に

ハッと気がついたことがある。

小野寺さんが「若いうちにこんな病気になって恥ずかしいです」と言うと

「パークゴルフでリハビリをすることを職業だと思いなさい、

職業だと思ったらリハビリできますよ」と言われた。

嬉しかった。

「左手、役に立たないから」と言うと

「何を言ってるんですか、あなたの身体の一部ですよ。必ず役に立つから」

人生経験豊富な先輩から言われた言葉が、嬉しく、心に沁みた。

現在、63歳になった 小野寺さんにとって、

パークゴルフは、生活の一部であり「ライフスタイル」である。

将来的には、年金の半分くらいで生活できるようなロングステイをし、

温暖なフィリピンでのリハビリパークを確立できればいいなぁと思っている。

病に侵され障害に見舞われても、人生が終わったわけではない。

そこからどう歩むかにより、その人の人生が大きく変わる。

パークゴルフがリハビリに最適なことは、医学的にも、有効だが、

さらに気持ち、メンタル面での充実が大きな要素であるように思う。

小野寺さんは「この病気をしてパークゴルフに出会いました。

もし健康だったら、まだゴルフに夢中になっていたかもしれない。

でも、病気になり、パークゴルフに出会えて本当によかったと思っています。

障害者になって失うものは少しだったけれど、得たものはいっぱいありました。

健常者の時はかたちあるものばかり欲しかったが、

今は、怒らなくなったし、他人に優しくなれた、耐えることも覚えました。

57歳で 病気になりましたが、あの頃のままの自分が、

63歳の今、倒れてしまったら間違いなく死んでいるでしょう。

だから時期的には「あなたには限界だよ」が、57歳だったんだと思います。

おかげで生かされました。

今は生きて行きたいと思います。

あの当時と比べたら大分、大人になりました。

もっともっと大人にならなきゃいけないんだけれど、

 

不自由になったのはほんのちょっとだけで、皆がとても親切にしてくれます。

飛行機に乗るときなんか全部フリーだし、

ゲートを探さなくてもいいし、

全て地上スタッフがやってくれる。

障害者特権ですね。

障がい者ライフを楽しめるようになったのはここ2年くらいですが、

障害者もなかなかいいものだと思います。

人生最大の危機を乗り越えた小野寺さんの今は、

パークゴルフで知り合ったたくさんの仲間達と、

毎日の自分と真摯に向き合い努力を重ねることによって、

昔と変わらない精力的に物事にチャレンジを続ける毎日を過ごしている。

一人では何もできないから、仲間の力を借りて、

皆で目標に向かうことは、障害があるなしには全く関係がない。

むしろ皆で力を合わせて事を進めることが、

今の社会には必要なことなのだ。